命日の意味て何?

先日、父親の7回忌の法事の際に子供から「人が亡くなった日の事を命日というけど、なぜ、人が亡くなった日の事を命日と呼ぶの?」と質問されました。上手く、答える事ができませんでした。そこで、住職にお聞きしたいと思います。なぜ、命日というんでしょうか。(門徒Dさん)

ナヤムさん
ナヤムさん

う~ん、当たり前過ぎて、命日がなぜ命日というのか考えた事もなかったです。この意味は、奥が深そうですね・・。

そうだね、ナヤムさん。奥は、深いよ。Aさん、いい質問ありがとうございます。それじゃ~今日は、命日について話しましょう。まずは、命日の基本的な意味からおさらいしよう。

フミオ住職
フミオ住職

このブログで学べる事

1.命日の意味合いとその意味の背景について学習できます。

2.祥月命日と月命日の違いについて学習できます。

3.命日が使われるようになった背景が学習ができます。

命日とは?その深い意味を知ろう!

命日という言葉は、多くの方が聞いたことがあるでしょう。「命日」は、故人が亡くなった日を指す言葉です。しかし、その背景には深い仏教的な意味と歴史があります。本日は、命日について詳しく見ていきましょう。

命日とは単に故人が亡くなった日を指すだけではなく、亡くなった方との縁を再確認し、その方を偲ぶための特別な日です。命日を迎えることは、故人とのつながりを感じ、改めて感謝の気持ちを持つ機会でもあります。仏教において命日は、故人の魂が極楽浄土へ向かう道程を支え、私たちがその道程に寄り添う大切な日と考えられています。

また、命日を通じて、私たちは「無常」という仏教の教えを実感します。人の命には限りがあり、すべてのものが変化し続けるという無常の教えは、私たちに今の一瞬一瞬を大切に生きることの重要性を教えてくれます。命日は、その教えを身近に感じ、日々の生活に感謝するきっかけとなる日でもあります。

さらに、命日は故人を供養するための大切な日です。仏教では、供養とは単に仏壇の前で手を合わせるだけでなく、故人を思い出し、その人が私たちに残した教えや影響を心に刻むことを意味します。命日は家族や親族が集まり、故人の思い出を語り合うことで、故人の生きた証を次の世代へと伝える機会でもあります。

祥月命日と月命日の違い

一般的に「命日」と言えば、亡くなった月と日を指していることが多いです。例えば、お祖母様が○○年□月△日に亡くなった場合、その□月△日が命日と認識されることが一般的です。このように特定の月と日を命日とすることを仏教では「祥月命日(しょうつきめいにち)」と呼びます。

一方で、「月命日(つきめいにち)」という考え方も存在します。これは、故人が亡くなった日を毎月の記念日として考えるもので、例えば上記のお祖母様の場合、毎月△日が「月命日」となります。現在でも、仏事に熱心なご家庭では、祥月命日だけでなく月命日の法要も行われています。

祥月命日が定着した理由

なぜ命日が月命日ではなく祥月命日として広まったのでしょうか?一つの理由として、一周忌や三回忌、七回忌などの代表的な年忌法要が、故人の祥月命日に行われることが定着したためと考えられています。この習慣が広がることで、命日は祥月命日として考えられるようになったのです。

また、祥月命日が定着した理由には、日本社会における家族や地域のつながりが深く関わっています。年忌法要は家族や親族、時には友人や近隣の人々が集まり、故人を偲ぶ機会として行われてきました。特に一周忌や三回忌といった法要は、多くの人々が参加するため、故人の命日を改めて認識し、その日を共に過ごすことが重要視されてきたのです。こうした集まりが、毎月の月命日よりも年に一度の祥月命日を重視する風習を後押ししました。

さらに、祥月命日を重視することは、故人の死を通じて生者の心のつながりを強化するという役割も果たしています。年忌法要は、家族や親族が集まって故人を偲ぶだけでなく、共に過ごした思い出を語り合い、互いの絆を深める場としても機能しています。このように、年に一度の祥月命日は単なる供養の日ではなく、生きている者同士のつながりを再確認し、絆を深める大切な機会となっているのです。

また、仏教の教えにおいても、命日には特別な意味が込められています。仏教では、人の死は終わりではなく、新たな生への転生の一環と考えられており、祥月命日を迎えることは、その魂の旅路を支援し、祈りを捧げる大切な日とされています。このような宗教的な意味合いも、祥月命日を重視する理由の一つと言えるでしょう。

命日の由来と「忌日」の意味

命日の起源についても触れてみましょう。元々、命日は「忌日(きにち・きじつ)」と呼ばれていました。「忌」という漢字には「恐れ慎む」という意味があり、そこには故人に対する畏敬の念が込められています。三回忌や七回忌などの法要で「忌」という漢字が使われるのも、故人を敬い慎む気持ちが込められているためです。

古来、忌日は故人を悼むための日であり、物欲を断ち心身を清める「物忌の日(ものいみのひ)」として過ごされていました。華美や贅沢を避け、故人への思いを静かに心に刻む日だったのです。しかし、室町時代頃から「忌日」に代わって「命日」という言葉が使われるようになりました。

忌日が命日に変わった理由

では、なぜ「忌日」が「命日」に変わったのでしょうか?いくつかの説が存在しますが、私が特に好きな説は、浄土真宗などの念仏者たちの努力によるものです。念仏者たちは、故人を供養するために物欲を捨てる行為ではなく、お念仏を称えることこそが重要だと考えていました。そのため、「忌」という言葉を「命」に変えることを推進したのです。

最初は「命過日(めいかにち)」と呼ばれましたが、やがて「過」が省略されて現在の「命日」という呼び方が定着しました。「命過日」という言葉には、「阿弥陀如来からの命(めい)に従う日」という意味が込められており、命日にはそのような深い仏教的な背景があるのです。

まとめ

「命日」と一口に言っても、そこには長い歴史と仏教の教えが反映されています。祥月命日や月命日、そして「忌日」から「命日」への変遷には、故人への畏敬と仏教的な意味が込められています。命日は、故人とのつながりを感じ、日々の生活においても大切な意味を持つ日なのです。

ぜひ、ご家族や大切な人の命日を思い起こし、その日を心を込めて過ごしてみてください。故人への感謝と尊敬の気持ちを込めることで、私たち自身の心も穏やかに保つことができるでしょう。

ナヤムさん(納得)
ナヤムさん(納得)

な~~るほど~~! 命日という単純そうに見える言葉の裏にそんな深い意味が隠されていたんですね。

ナヤムさん(納得)
ナヤムさん(納得)

それにしても、知れば知るほど仏教て奥深いですね。

そうだね。だから、仏教はどこまで勉強しても果てが無いし、勉強すればするほどのめり込んでいくんだよ。

フミオ住職
フミオ住職

著者:釋 文雄(しゃく ぶんゆう)浄土真宗本願寺派 順教寺 住職

1948年に生まれ、1960年に得度を受け、1974年には寺院の住職の資格を得る。以後、本願寺派の布教使としての活動を開始。1977年に当寺院の第14代住職に就任し、現在に至る。浄土真宗本願寺派の僧侶として、50年以上の経験があり、布教使として各寺院や講演会での法座の登壇回数も延べ1,000回を超える。これまでの、浄土真宗僧侶としての経験を踏まえて仏教や浄土真宗の教えを伝えるために「教えて住職さん」のブログの情報発信を行う。