命日の意味て何?

先日、父親の7回忌の法事の際に子供から「人が亡くなった日の事を命日というけど、なぜ、人が亡くなった日の事を命日と呼ぶの?」と質問されました。上手く、答える事ができませんでした。そこで、住職にお聞きしたいと思います。なぜ、命日というんでしょうか。(門徒Dさん)

ナヤムさん
ナヤムさん

う~ん、当たり前過ぎて、命日がなぜ命日というのか考えた事もなかったです。この意味は、奥が深そうですね・・。

そうだね、ナヤムさん。奥は、深いよ。Aさん、いい質問ありがとうございます。それじゃ~今日は、命日について話しましょう。まずは、命日の基本的な意味からおさらいしよう。

フミオ住職
フミオ住職

命日の基本的な意味

命日は「人が亡くなった日」という意味で使われる言葉です。そして、命日はその人が亡くなった月と日の事だと考えている人が多いです。

例えば、祖母が○○年□月△日に亡くなった方がいらっしゃれば、命日は□月△日という風に考えます。

仏教的なこの命日の呼び方を祥月命日(しょうつきめいにち)と言います。

しかし、元々は命日は亡くなった月を含まず、亡くなった日のみで考えられていました。上記の祖母の例で言えば、命日は□月△日ではなく△日という風にもともとは考えられていたわけです。

仏教的なこの命日の呼び方を月命日(つきめいにち)といいます。月ごとに命日が存在するわけです。

今でも、仏事に熱心なご家庭は祥月命日の法要だけでなく月命日の法要も実施されています。

祥月命日が定着した理由

なぜ、命日の考え方が世間一般に月命日から祥月命日に変化したかは諸説あって説明が難しい所です。

しかし、よく言われる説としては1周忌、三回忌や七回忌などの代表的な年忌法要を亡くなった方の祥月命日に行う仏事が定着する過程で命日は月命日ではなく祥月命日で考えられるようになったそうです。

命日の由来(忌日とは)

では、なぜ人が亡くなった日の事を命日と言うようになったんでしょうか。命日は、古くは忌日(きにち・きじつ)と呼ばれていました。

忌は、「恐れはばかる」という意味があります。恐れはばかるには「畏敬」の意味が含まれています。

ですので、忌日とはお亡くなりになった人を畏敬の念を込めて敬う日と考えられます。

余談ですが、三回忌や七回忌などの祥月命日で「忌」という漢字が使用されるのもこういった背景があります。

古来の人は、忌日は故人を悼む上で、忌日を物忌の日(ものいみのひ=物欲から離れて心身を清める日)として、華美や贅沢なことを控えて過ごしていました。

それが、室町時代頃から忌日の代わりに命日という言葉が使用されるようになりました。

命日の語源(忌日が命日に変わった理由)

忌日の代わりに、命日が使われるようになった理由も諸説あります。

私が好きな説は、浄土真宗などの称名念仏(南無阿弥陀仏と唱える事で救われるという考え方)を信じる僧侶等の念仏者が「忌」から「命」に代えるように努力したという説です。

浄土真宗の僧侶に代表される念仏者は、死者への供養は贅沢を差し置くなどという行為ではなくお念仏を称える(となえる)ことだと考えています。

物忌は、不要だったわけです。だから忌日(物忌の日)とは呼ばなかったわけです。

忌日と呼ばない代わりに、命過日(めいかにち)と当初、呼ぶようになったそうです。

文字通りに解釈すると、命が過ぎる日という事です。しかし、命過日の命には「いのち」という意味ありますが「いいつけ」という意味もあります。

念仏者にとっての、死ぬ日は阿弥陀如来の「お浄土へ来てください。」という命に、「今から往(い)きます」と心も体も従う日です。

そこから、「忌」の代わりに「命」が使われ始めたと言われています。

そして、その命に「過(すぎる)」が加わることで死ぬ日とは「阿弥陀如来の命が私を通り過ぎる日」となります。

そのような理由があり、念仏者の間で忌日ではなく命過日が使われるようになったとされています。

その後、命過日という呼び方は時代とともに「過」が省略されるようになり命日という呼び方が定着し現在に至ったとされています。

ナヤムさん(納得)
ナヤムさん(納得)

な~~るほど~~! 命日という単純そうに見える言葉の裏にそんな深い意味が隠されていたんですね。

ナヤムさん(納得)
ナヤムさん(納得)

それにしても、知れば知るほど仏教て奥深いですね。

そうだね。だから、仏教はどこまで勉強しても果てが無いし、勉強すればするほどのめり込んでいくんだよ。

フミオ住職
フミオ住職

著者:釋 文雄(しゃく ぶんゆう)浄土真宗本願寺派 順教寺 住職

1948年に生まれ、1960年に得度を受け、1974年には寺院の住職の資格を得る。以後、本願寺派の布教使としての活動を開始。1977年に当寺院の第14代住職に就任し、現在に至る。浄土真宗本願寺派の僧侶として、50年以上の経験があり、布教使として各寺院や講演会での法座の登壇回数も延べ1,000回を超える。これまでの、浄土真宗僧侶としての経験を踏まえて仏教や浄土真宗の教えを伝えるために「教えて住職さん」のブログの情報発信を行う。