仏陀の格言に学ぶ私達の人生を豊かにする智慧#1

このブログ記事で主に学べる事
- 心の持ち方が現実の感じ方や世界の捉え方に影響を与えるという考え方。
- 悩みや苦しみは外的な出来事ではなく、それに対する自分の心の反応から生まれるという考え方。
- 瞑想や感謝の習慣を通じて心を浄化し、自らの心をコントロールすることで穏やかな人生を過ごすことができるという考え方。
「物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話し、行ったりするならば、苦しみは車輪が牛の足跡を追うように、その人につきまとうだろう。」
この格言は、仏陀(ブッダ)が私たちに残した重要な格言です。仏教の根本的な教えを凝縮したこの言葉は、現代社会を生きる私たちに深い影響を与えるものであり、私たちの日常に密接に関連するものです。この記事では、この格言の意味とその現代的な意義について、具体的な例を交えて掘り下げていきます。
目次
心が作り出す世界

まず、この格言の冒頭部分「物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される」という言葉は、私たちの世界観を大きく左右するものです。仏教では、私たちが認識する世界は自分自身の心の投影であり、そのため心の状態によって、私たちが経験する現実も変わると考えられています。
例えば、雨が降っているとき、それを不運だと感じるか、それとも自然の恵みだと感じるかは、私たちの心の持ち方にかかっています。心が穏やかであれば、雨は植物や人々を潤す恵みと感じることができるでしょう。しかし、心が不安や怒りに満ちている場合、雨は煩わしさや不便さとしてしか映りません。これは、私たちの心の状態がどれほど私たちの感じ方を決定づけているかを示す一例です。
仏教の教えにおいて、すべてのものは無常であり、変化し続けるものであるとされています。この「無常」の考え方は、私たちにとって一つの救いでもあります。なぜなら、現在の苦しみもまた一時的なものであり、変化し続けるからです。しかし、心の持ち方が「不変」への執着に囚われていると、この変化を受け入れるのは困難になります。このような心の在り方が、結果として私たちにさらなる苦しみをもたらすのです。
私たちの日常生活でも、心の状態がどのように影響を与えているかを考えてみましょう。例えば、仕事でミスをしたときに、自分を責める気持ちが強すぎると、そのミスを必要以上に重く受け止めてしまい、結果としてストレスや不安が増大します。しかし、心が穏やかであり、自分を受け入れる姿勢を持つことで、そのミスを学びの機会として前向きに捉えることができるのです。このように、心の持ち方が私たちの感じ方や行動に直接的に影響を与えるのです。
汚れた心が引き起こす苦しみ

「もしも汚れた心で話し、行ったりするならば、苦しみは車輪が牛の足跡を追うように、その人につきまとうだろう」という部分は、私たちの心の中にあるネガティブな感情が、どのようにして私たち自身や周りの人々に苦しみをもたらすかを具体的に示しています。
「汚れた心」とは、怒り、嫉妬、悲しみ、妬み、見栄といった感情に支配された状態を指します。これらの感情が心を支配すると、私たちは他者を傷つけたり、意図せず自分自身を傷つける行動をとってしまうことがあります。たとえば、怒りの中で放った言葉が周囲の人々との関係を壊してしまうことがあります。そのような言動がもたらす結果は、いつか必ず自分に返ってくるのです。
また、嫉妬や妬みの感情も同様に、私たちに苦しみをもたらします。誰かの成功を羨ましく感じ、その人を攻撃したくなることがあるかもしれません。しかし、そうした行動は結果として自分自身の心の平安を乱し、さらなる苦しみを引き寄せることになります。仏教では、たとえ言葉に出さなくても、心の中で悪意を抱くことは罪深いとされています。これを「口で殺すことと心で思うことは同じ」という言葉で表現しています。私たちの心がどれだけ言動に影響を及ぼしているかを理解することで、心の持ち方の重要性が見えてきます。
私たちの心は非常に強い影響力を持っています。そのため、心を浄化し、穏やかな状態を保つことが、私たちが幸福な人生を歩むための第一歩となるのです。
心の浄化の重要性

では、私たちの心を浄化するためにはどうすれば良いのでしょうか?仏陀の教えに基づく心の浄化のプロセスは、非常にシンプルでありながらも奥深いものです。それは「目的意識を持ち、努力を続けること」にあります。仏教の教えに「務めに励む人々は死ぬことがない」という言葉がありますが、これは目的意識を持って自分の心を磨くことが、私たちを真に生き生きとさせるという意味です。
心を浄化するための具体的な方法の一つに「瞑想」があります。瞑想は、心の中の雑念を取り除き、今この瞬間に集中することを助けます。瞑想を通して、自分自身の感情や思考を冷静に観察し、それらに対する反応をコントロールする力を養うことができます。また、他者への慈悲の心を育てる「メッタ瞑想」も心の浄化に役立ちます。
心の浄化には日常の小さな行いも大きな役割を果たします。例えば、他者に親切にすること、感謝の気持ちを持つこと、正直であることなど、日々の行動を通じて心を磨いていくことが大切です。これらの行動は直接的には小さなことに思えるかもしれませんが、積み重ねることで心の浄化に大きく貢献します。
心の賢者になる

仏教の教えに「水道を作る人は水を導き、家を作る人は屋根を作り、賢者は自分を整える」という例え話があります。この言葉が示しているように、私たちは自らの心を賢く導く「心の賢者」となることを目指すべきです。これは、他人をコントロールすることではなく、自分の心をコントロールすることに焦点を当てています。
例えば、日々の生活の中で自分の心の中に芽生えるネガティブな感情に気づき、それを放っておかず、心の中でその感情と対話し、理解することが大切です。心の賢者になるためには、自分自身の感情を批判するのではなく、それらを受け入れ、解放していく姿勢が求められます。
また、心の賢者になるためには、学び続ける姿勢も重要です。仏教の教えを学ぶことや、自己啓発の本を読むこと、自分自身の成長に繋がる経験を積むことが、心を整え、賢者としての道を歩む手助けとなります。成長は一夜にして成るものではありませんが、小さな一歩一歩が積み重なって、やがて大きな変化を生むのです。
ブッダの教えを生活に活かす

現代社会において、私たちは常に情報に囲まれ、多忙な生活を送っています。その中で、自分の心の声を聴く時間を持つことは難しいかもしれません。しかし、ブッダの教えは、そうした現代の忙しさの中にあっても私たちに多くの示唆を与えてくれます。
例えば、満員電車でのストレス、仕事のプレッシャー、人間関係の悩みなど、現代人が抱える多くのストレスの根源は、心の中の「反応」にあります。これらの状況に対して、怒りや不安の感情に任せて反応するのではなく、一歩引いて自分の心を観察することが求められます。そして、その観察を通して、自分の感情がどこから来ているのかを理解し、それを受け入れることが重要です。
また、現代の生活においては、テクノロジーや社会の複雑さが私たちの心に負担をかけることが多くあります。その中で、仏教の教えを生かすためには、デジタルデトックスや自然の中で過ごす時間を持つことも効果的です。スマートフォンやコンピューターから離れ、自然の中で心をリフレッシュさせることで、心の中の雑音を取り除き、本来の自分に立ち返ることができます。
さらに、心の平穏を保つためには、日々のルーティンの中に「心のケア」を取り入れることが大切です。例えば、朝の時間に少しだけ瞑想をする、寝る前に感謝の日記をつけるといった習慣を持つことで、心を整え、ストレスを軽減することができます。これらの小さな習慣が、長期的には大きな変化をもたらし、ブッダの教えを現代の生活の中で実践するための道しるべとなります。
まとめ:心を整え、穏やかな人生を歩む
「物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話し、行ったりするならば、苦しみは車輪が牛の足跡を追うように、その人につきまとうだろう。」
この格言が伝えようとしているのは、私たちの心の持ち方が、そのまま私たちの人生を形作るということです。私たちの心が清らかであれば、行動も清らかになり、周囲との調和も生まれます。逆に、心が汚れていれば、その結果として苦しみが生まれるのです。
心の浄化は簡単なことではありません。しかし、仏陀の教えを学び、日々の生活に取り入れて実践していくことで、私たちは少しずつでも心を浄化し、穏やかで満ち足りた人生を歩むことができます。日々の小さな努力が、私たちを「心の賢者」へと導き、より良い人生を築く礎となるのです。
私たちが生きる上で、仏教の教えは非常に価値のある道しるべです。日々の生活に少しでもその教えを取り入れ、心を磨き続けていくことで、私たちはより良い自分と世界を作り上げることができます。そして、心を整えることで、私たち自身の内なる平安が生まれ、それが周囲の人々にも良い影響を与えるのです。
ブッダの教えは私たちに「今」を大切に生きることを教えてくれます。心の状態を整え、感情に流されず、穏やかに、そして愛を持って生きることが、私たちが幸せな人生を歩むための鍵となります。現代社会の中で、心の平穏を見つけることは容易ではありませんが、そのための一歩一歩を大切にし、ブッダの教えを実践していくことで、私たちはより良い自分を作り上げることができるのです。
日々の小さな努力が、やがて大きな変化を生むということを忘れずに、心を磨き続けていきましょう。それが私たち自身の幸福であり、周囲の人々にも幸せをもたらす道なのです。

著者:釋 兼高(しゃく けんこう)浄土真宗本願寺派 順教寺 副住職
1980年生まれ。2002年にアメリカの大学を卒業し、2007年に大学院を修了。2008年には得道し、僧侶の道を志す。その後、社会経験やビジネスの知見を深める上で人材育成系コンサルティング会社に就職し、13年間勤め営業経験や講師経験やコンサル経験を積む。2021年に退職し、家業である寺院を継ぐために入寺。
日々、仏の道に精進しながら浄土真宗本願寺派の僧侶としての道を歩む。これまでの職務経験を通じて培ったスキルや知識を活かし、分かりやすく仏教や浄土真宗本の教えを伝えるために「生活に役立つ仏教の教え」、墓地・永代供養墓の管理者の視点から「浄土真宗僧侶が伝えたい墓地・納骨堂選びの話し」のブログやお寺を身近に感じてもらうために、「若院(じゃくいん)のつぶやき」の情報発信を行う。