夏季永代経法座を開催いたしました。
7月27日に夏季永代経法座を無事開催する事ができました。
暑い中、お集まりいただいた皆様まことにありがとうございました。
今回の永代経法座は、広島市の中区にあるお寺の永光聖法先生(永光寺住職)をお招きして行いました。
先生は、南無阿弥陀仏のご利益・有難さ・お働きについて主にお話をしてくださりました。
永光先生は様々な事例を交えながら、阿弥陀如来のご加護について話をしてくださりました。
中でも印象に残っているのは、手紙の話です。最近書くことはめっきりと減ってきましたが、手紙は私達のコミュニケーション手段の一つです。
手紙を書くには、沢山のエネルギーがいります。文書を考える時間・文書を手紙に書く時間、等です。書く文量によって手紙が完成するまでの時間は違いますが、そこに記載されている文書には、書き手が読み手に対して贈った様々な思いが込められています。そういった過程を経て手紙は書き手から読み手に贈られます。
そこに記載されている文書をどう受け取るかは、読み手の感受性によっていかようにでも変化します。感受性の高い人が読めば、その手紙に記載されている文面から書き手の様々な思いを汲み取ることができます。一方で、感受性が低い人が読めばその手紙から受け取れる情報は文書に記載されている文字を通り一辺倒に解釈するのみになってしまいます。
また、同じ手紙でも読み手の成長とともにその文面から受け取れる事柄は変化します。同じ文書でも、時に書き手の温かさが伝わる文書である事もあれば、書き手の𠮟咤激励が伝わる文書になる事もあります。
このように、手紙には書き手の心がこもっており、その思いが汲み取れるかは読み手の感受性が大切になるという話を永光先生はしてくださりました。そして、続けてお経も阿弥陀如来様からの手紙なんですよという話をしてくださりました。
浄土真宗が大切にしているお経は、浄土三部経です。その浄土三部経はインドで生まれたブッダの様々な仏教の教えが説かれています。インドで生まれたブッダの教えがインドから中国に伝わり漢訳されて日本に伝わっています。現代では一見すると難解に漢字で記載されており、難しい印象を与えるお経です。しかし、そこには確かにブッダの想いややブッダの教えを沢山の人に伝えたいという過去の沢山の僧侶の想いがそこに綴られているわけです。
その思いを汲み取り、現代の人に分かりやすく伝える事が現代の僧侶に求められる使命なのだという事を改めて学ばせていただきました。
永光先生ありがとうございました。
合掌