お寺掲示板#24 奇跡は、私たちの当たり前の中にも存在する

「奇跡は、私たちの当たり前の中にも存在する。」このお寺掲示板に掲げた一言をテーマに、仏教の教えに基づき、私たちの日常に潜む奇跡に光を当てるブログをお届けします。当たり前に慣れてしまった日々の中で、今ここにある奇跡を見つめ直すことで、心に感謝と安らぎを取り戻す時間になれば幸いです。
目次
「奇跡は、私たちの当たり前の中にも存在する」

「奇跡」と聞くと、非現実的で特別な出来事を思い浮かべがちです。しかし、本当の奇跡は、日々の当たり前に潜んでいます。息をしていること。心臓が鼓動を続けていること。朝、目を覚まして新しい一日を迎えられること。これらは決して当たり前ではなく、多くの因縁や縁起によって成り立った尊い奇跡です。
仏教で「有難う」と書いて「ありがたい」と読むのは、「有ることが難しい」からです。家族や友人、誰かと過ごす日常も、健康でいられる体も、食事をいただけることも、すべて「有ることが難しい」からこそ「有難い」。この掲示板の一言には、そうした仏教の核心ともいえる教えが凝縮されています。
日常の中の奇跡を見つける

例えば朝、カーテンを開けて差し込む陽の光を浴びること。冷たい水を飲んで喉を潤せること。小鳥の声に耳を傾けられること。これら全てが自然と命の織りなす奇跡です。日々の忙しさの中で意識を向ける機会が少ないかもしれませんが、これらに心を留めて「ありがとう」と思う時間を持つだけで、心は静かに整っていきます。
仕事でうまくいかないことが続く日も、家庭で思い通りにならないことがある日も、目を閉じて自分の呼吸を感じてみてください。その呼吸ができていること自体、すでにかけがえのない奇跡なのです。心臓は眠っている間も休むことなく動き、血液を循環させてくれています。そのおかげで私たちは今日も生きています。
縁起に支えられた奇跡

仏教の「縁起」は、この世界に存在するすべてが無数の縁によって支え合っていることを示す教えです。一杯のごはんも、農家の方が稲を育て、運送の人が届け、お店で買い、炊飯器で炊けて初めて私たちの口に届きます。自分一人の力で成り立っているものなど、何一つありません。すべては誰かや自然との「ご縁」によって支えられています。
この縁に思いを馳せると、当たり前だと思っている食事も、挨拶も、毎日がたくさんの人や自然の力に支えられた奇跡だと気づくはずです。そしてその気づきは、人との関わりに優しさをもたらし、人生を温かくしてくれます。
「足るを知る」心で感謝を育む

仏教には「足るを知る」という言葉があります。足りないものを数えるのではなく、今ここにあるものに目を向けて「これで十分だ」と思う心を育てることです。「もっと欲しい」「もっと便利に」と求め続ける心は、次第に不安や不満を増幅させてしまいます。一方で、今ある当たり前に感謝できる心を持てたとき、心は穏やかになり、日常に潜む奇跡を喜べるようになります。
忙しい日々の中でも、一日の終わりに「今日も無事に過ごせたこと」に感謝して眠りにつくだけで、心は変わっていきます。感謝は幸せの種です。当たり前を奇跡だと気づく心を育て、日常を豊かなものに変えていきましょう。
まとめ
「奇跡は、私たちの当たり前の中にも存在する。」この言葉は、私たちが普段見落としがちな尊い真実を思い出させてくれます。日常に潜む奇跡に気づき、感謝を心に育てることで、人生は豊かさと安らぎに満ちていきます。今日も当たり前にありがとうを伝え、心穏やかに過ごしてみませんか。奇跡に気づく日々が、あなた自身を、そしてあなたの周りの人を幸せにしていくはずです。