藤の花に学ぶ、“とらわれない心”|無所得という仏教のまなざし

先日、神の倉に子供と一緒に遊びに行き、山歩きをしていると、
棚から垂れ下がるように咲いた、美しい藤の花に出会いました。
風にそよぐその姿は、どこかすべてを受け入れているような、やわらかさをたたえていました。

そのとき、ふと思い出したのが、
仏教で説かれる「無所得(むしょとく)」という言葉です。
一般的に無所得というと・・
収入や利益などをが無い状態の事を指します。
仏教では、無所得とは・・
何かを得ようとする執着のない、自由な心の状態。
評価を求めたり、人と比べたり、
「こうあらねば」という思いに縛られることのない、しなやかな在り方です。
藤の花は、誰かに見せようとして咲いているわけではありません。
ただ、あるがままに咲いて、風に身をまかせている。
そんな姿が、とても美しく感じられました。

がんばる日々の中で、
「いまのままの自分では足りない」と感じてしまうこともあるかもしれません。
でも、なにかを得るためではなく、
ただ“いまここに咲いている”ということに価値がある。
そう思えたなら、心が少し軽くなるのではないでしょうか。
📷 藤の花を見て、どんな気持ちになりましたか?
あなたの感じたことも、よければコメントで教えてください。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
📺 仏教のことばや、日々に寄り添う“気づき”を、YouTubeやInstagramでもお届けしています。
よろしければ、こちらからご覧ください👇
YouTube|心の道標 https://www.youtube.com/channel/UCSQM3Bc-N1KqCcp-vLIKzjA
Instagram|坊さんケンコウ|仏教で、幸せな心の習慣を
https://www.instagram.com/bousan_kenkou/?hl=ja