文化財・史跡

広島市重要文化財

昭和24年1月26日に法隆寺金堂の壁画が焼損したことを契機に、
国民的財産である文化財を火災から守るとともに、文化財愛護の思想を高めるために設けられました。

広島広域観光情報サイト「ひろたび」にも紹介されています。

https://www.hiroshima-navi.or.jp/post/005946.html


         【金銅円板懸仏】
市指定重要文化財
●所在地:安佐北区白木町市川1244 順教寺
●指定年月日:昭和53年2月13日
●概要:円板径34㎝(但し木彫三尊仏を除く)

順教寺に安置される3点の懸仏のうち、一番大きなもので、金銅円板に、彩色された木彫りの仏像が取りつけられています。懸金具部分の作り方などから、この懸仏が作られたのは室町時代初期のこととされています。

ただし、中に取りつけられている三体の仏像は後に補われたもので、江戸時代末か明治時代初め頃に作られたようです。制作当初は、おそらく三体の仏像も金銅製のものだったと考えられます。


        【銅円板懸仏】
市指定重要有形文化財
●所在地:安佐北区白木町市川1244 順数寺
●指定年月日:昭和53年2月13日
●概要:円板径21.5cm

順教寺にある他の二つの懸仏に比べて非常に素朴な感じを与える懸仏です。中央の坐像は、「押出造り」ですが、蓮座やその下の波の文様、仏の背後にある光背などは、鋼円板の表面に細い線を彫って表現した簡素なものです。また、銅円板は半円状のものを二枚を継ぎ合わせて作られています。裏面には木板が張りつけてあり、ごく簡単な裏書きが残っていました。おそらく室町時代末頃に作られたものと考えられます。


         【金銅円板懸仏】
市指定重要有形文化財
●所在地:安佐北区白木町市川1244 順教寺
●指定年月日:昭和53年2月13日
●概要:円板径21.5cm

この懸仏の中央の仏像と、左右の花瓶は、銅円板を槌などで裏から叩き、押し出して作られています。この押出造りは、円板周囲の装飾や、懸輪を取りつける金具部分、花瓶の下の花の文様などにも見られます。裏面には木板が張りつけてあり、そこに文明6年(1474)4月15日に、物部太郎惣左衛門という人が、この懸仏を八幡神社に寄進したという内容の墨書きがされています。このことから、この懸仏は室町時代の中頃に作られたものであり、当時は神社に仏を祭るということが行われていたことがわかります。このような裏書きのある懸仏は県内でも珍しく、貴重な資料となっています。