なぜ浄土真宗で精進料理?

先月、別院で浄土真宗の勉強会が開かれました。

今回のテーマは「精進料理」。

ご講師は、北広島町でイタリアン精進料理を営まれている、淨謙寺のご住職でした。

とても学びの多い時間だったので、少しだけ気づきを共有させていただきます。

私は以前から、ずっと疑問に思っていたことがありました。

浄土真宗は、肉食などを特に禁止していない宗派です。

それなのに、どうして精進料理をいただく文化があるのだろう、と。

法事やお葬式のときに、みんなで「おとき」をいただく習慣も、その一つです。

今回のお話で、その意味がすっと腑に落ちました。

浄土真宗にとって食事とは、「命をいただくこと」。

そして、その命の尊さを感じながら生きていくこと。

精進料理は、「食べてはいけないものがある」という教えではなく、

「いただいている命に気づく」ための大切なご縁なのだと教えていただきました。

他の宗派では、修行や戒律を通して、より良く生きようとする教えがあります。

それもとても尊い道です。

一方で、親鸞聖人は、

「人は修行によって完全になれる存在ではない」と見つめられました。

以前、主人がこんな話をしてくれました。

「どれだけ努力しても、人は自分の力だけで報われる存在ではない。

だからこそ、その未熟さを抱えたまま、生きていくことが大切なんだよ」

今回のお話と、その言葉がつながり、

これまで点だったものが、一本の線になったように感じました。

さらに印象に残ったのは、

「一つ一つの命を、最後まで大切にいただく」というお話です。

野菜の皮やヘタも無駄にせず、

それらからだしを取って料理に活かす。

実際に、その“野菜だし”をお店でも使われているそうです。

私もさっそく試してみました。

野菜の皮や外葉でだしを取り、炊き込みご飯やカレーに使ってみると…

「えっ、こんなに変わるの?」

思わず声が出るほど、味わいが深くなりました。

味見のつもりが、一膳しっかり食べてしまったほどです。

これまで捨てていた部分が、

こんなにも豊かな味を生み出してくれる。

そう思うと、

「命をいただく」ということの重みとありがたさを、改めて感じました。

これからは、こうした小さなことを大切にしながら、

日々の暮らしの中で、命の尊さに目を向けていきたいと思います。

そして正直なところ…

節約好きの私としては、ここも嬉しいポイントです(笑)

今まで捨てていたものが活かされるって、やっぱり嬉しいものですね。