住職継職奉告法要を終えて(坊守より)

5月24日・25日の2日間、順教寺にて特留部大会が開催され、「住職継職奉告法要」と「物故者並びに戦没者追悼法要」が厳かに執り行われました。
法要の詳細は住職よりご報告がございますので、私は一坊守として、このたびの法要を通して感じた思いを綴らせていただきます。
私の祖母は、かつてお寺で働いておりました。会うたびに「お寺というのは、坊守が支えているのよ」と教えてくれたその言葉が、今回、心の中で何度も思い出されてきました。

だからこそ、坊守になる私がしっかりしなければと、強い責任感を抱いていました。けれど実際には、お寺のことも行事のことも分からず、戸惑いと不安ばかりの毎日。
「坊守として恥ずかしくないように」と自分を奮い立たせ、廊下を磨いたり、障子を張り替えたり、庭木の手入れをしたりと、できることを探して黙々と過ごしていました。
けれど「すべてを把握し、聞かれたことにはすべて答えられるようにしておかなければならない」と思い込んでいた私にとって、門徒の皆さまとの打ち合わせを重ねる中で、その考えが少しずつ和らぎ、“支えられている”という実感へと変わっていきました。
門徒の皆さんがとても親身になって考え、行動してくださる姿にふれたとき、「お寺は住職と坊守の二人で築いていくものだ」と思っていた私の考えが、静かに揺らぎました。

それはきっと、これまで門徒の皆さまのことを真剣に想い、日々の判断や行事の選択を重ねてこられた、前住職と前坊守のお姿をそばで見てきたからこそ、「お寺とは、住職と坊守が背負い、守り続ける場所だ」と、自然と心の中で思い続けていたのだと思います。
けれど実際には、お寺は“想う側”でありながら、同時に“想われている場”でもありました。
門徒の皆さまが、お寺のことを、そして私たちのことを思ってくださる姿にふれ、この場所は一方通行ではなく、互いの想いが行き交い、共に育まれていくあたたかいご縁の場なのだと、深く気づかされました。

そして何より、この法要の機会を通じて、たくさんの方々と直接お話しできたことが、私にとって大きな喜びでした。打ち合わせの合間のふとした会話、洗い場で交わしたさりげないやり取り、帰り際に山門で皆さまをお見送りしながら交わした「頑張ってくださいね」「困ったときは力になるよ」といった言葉。
その一つひとつが、揺らいでいた心に優しく届き、不思議なほど力が湧いてくるようでした。「私もまた明日から頑張ろう」と、心の底から思えたのです。
まだまだ未熟で、恥ずかしいほど世間知らずな私ではありますが、ご先祖さまが繋いでくださったこの大切なお寺を、門徒の皆さまと共に次の世代へと丁寧に繋いでいけるよう、つまずきながらも、一歩ずつ歩みを進めてまいります。
今後とも、順教寺をどうぞよろしくお願いいたします。
皆様、本当にありがとうございました。
南無阿弥陀仏


