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若院のつぶやき

お寺掲示板④

順教寺では、お寺の掲示板へおよそ1ヵ月に1回のペースで法語の掲載を行っています。ここでは、その法語の意味合いについてご案内します。

“生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる”。

「スッタニパータ」136

これは、スッタニパータという経典の中で仏陀が述べたとされる言葉です。

この中で登場するバラモンとは、インドのカースト制度(身分制度)における4つの社会階層の一つです。バラモンは、司祭階層であり主に祭事を司っている階層です。カースト制度における最高位とされていました。

カースト制度における身分は出自により決まり、その階層で生まれた人は生涯その身分で過ごさなければなりません。そして、人が持つ人格やこれまで積み上げてきた実績とは関係なく、生まれ落ちた出自で人の貴賤(きせん)が決められていました。

仏陀は、この考え方に対して異論を唱えました。仏陀は、生まれではなく、その人の行いによってその人の身分が決まると唱えたわけです。言い換えると、行いがその人を作るという事です。

貴い行いを継続すれば、その人は貴い人になります。悪い行いや賤しい行いを続ければ、その人は賤しい人になってしまいます。

現代社会においては、当たり前のような考え方です。現代社会では、人は努力等の行いによってある程度自分の人生をコントロールできます。しかし、私達は時としてその事を忘れがちになります。

例えば・・・

時に人は、「どうせ自分なんか」と考え投げやりな行いをしたりします。時に人は、「他の人もしているから」、「誰も見てないから」と考え不道徳な行いをしたりします。「人に多少迷惑をかけてもしかたない」と考え自分勝手な行いをしたりします。

そういった過去の行いが、今の私という人間を作っているわけです。

今の私は、どんな人間でしょうか?、

後ろめたいことがある人間でしょうか?、よこしまな人間でしょうか?、嘘つきな人間でしょうか?、自分の事を誇れる人間でしょうか?、善人でしょうか?、正直な人間でしょうか?、

あるいは、様々な自分が混ざりあっている人間でしょうか?

仏陀がおしゃったように、人は行動によって作られます。もし、今の自分が望む自分と違うなら、これまでの行動を振り返り、今どんな人間なのか考えられてはいかがでしょうか。

過去の行動を振り返る中に、自分を変えるヒントが隠されているような気がします。

この頃、私は自分の行いを顧みる(かえりみる)と、至らない事が多い事に愕然(がくぜん)とする毎日です。