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若院のつぶやき

お寺掲示板②

順教寺では、お寺の掲示板へおよそ2週間に1回のペースで標語の掲載を行っています。ここでは、その標語の意味合いについてご案内します。

”過去は変えられない 未来も分からない 今が平穏ならそれがいい”

順教寺のお寺掲示板より

人は、今(現在)を生きています。過去の積み重ねの上に今があり、今の延長線上に未来があります。過去、今、未来という3つの時間は別個に存在する訳ではなくそれぞれが強くかかわりあって存在しています。

過去は既に通り過ぎてしまっている時間なので、過去に我々がとった行動や選択を今の私達が変えることはできません。

そして、今の先に存在する未来はまだ、起きていない事であり、未来にどんな事が起こるかは誰も分かりません。

しかし、時に人は過去の自分のとった行いに対して必要以上に悲観的になったり、「あの時は良かったな」と感慨にふけったりもします。また、未来の起きるかどうかも分からない事に対して必要以上に警戒し恐れたり、「こうなればいいな、ああなればいいな」、等、切望したりすることがあります。

そして、必要以上に過去や未来のことに囚われるあまり今を見失うことが人には往々にしてあります。今を見失うことにより、今を大事に生きることを疎かにしてしまうことがあります。その結果、当たり前のように存在している、「今生きていること」に対する感謝を忘れてしまったりすることがあります。

「今生きている」ということは、残念ながら当たり前のことではありません。今、健康無事でありふれて生きているということも当たり前ではありません。当たり前のようにみえているだけです。お墓参りを行うこの時期に、私はその事を強く感じます。

当たり前ではない「今生きている事」に対する感謝をわずかでも忘れている方がいらっしゃたら、少し肩の力を抜いて今の自分について考える時間をもってもらえたらなと思います。

僭越ですが、そんな事を考えながら標語を掲載させていただきました。