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若院のつぶやき

お寺掲示板③

順教寺では、お寺の掲示板へおよそ1ヵ月に1回のペースで標語の掲載を行っています。ここでは、その標語の意味合いについてご案内します。

“幸せだから、感謝するのではない。

感謝するから幸せになる。”

順教寺掲示板より

感謝というのは、「ありがたい」と思う気持ちです。ありがたいと思う対象は、人の場合もあれば、人以外の対象や神仏の場合もあります。

多くの場合、人が「感謝」する瞬間というのは自分にとって何か良いことが起きた時ではないでしょうか。例えば、無くしたと思っていたスマホが交番に届けられていた時、忙しい時に同僚に仕事を手伝ってもらった時、など何か自分に対して良い事が起こった時に我々は感謝することが多いです。

反対に、いつも時間通りに来ている電車が時間通りに来なかったら不満に思ったりしてしまいます。毎朝、夕御飯を作ってくれる妻が何かの事情で夕御飯を作っていなかったら不満に思うかもしれません。

日々、我々の周りで起きている当たり前の事は1日をつつがなく生活していく上で欠かせません。しかし、我々はその当たり前の事を時に軽視します。一方で、たまにしか起きない自分にとって良いことには感謝することが多いのではないでしょうか。

日々、我々の身の回りで起きている有り触れているかもしれないけど良い事とあまり起きない良い事、どちらも我々にとっては良い事なわけです。だからこそ、どちらに対しても感謝することが重要ではないかと思います。

幸せというのは、自分の心が「幸福感(自分は幸せだと思える気持ち)」で満たされている状態を意味します。沢山、感謝できる人とそうでない人とではどちらが、幸福感に満たされる可能性が高いでしょうか。この問には、前者だと答える人が多いのではないでしょうか。

自分が何かに感謝している時というのは、自分は「恵まれている。」、「ついている。」、「助かった。」、など自分にとって良いことが起きた時です。良いことが起きていると感じられる瞬間、人は幸福感に包まれます。言い換えると、感謝があまりできないと幸福感に包まれる機会は少なくなるという事です。

皆さんは、普段の生活の中でどのくらい「感謝」できているでしょうか?、日々、我々の身の回りで起きている有り触れている事に対して「感謝」できているでしょうか?、それを「ありがとう」という言葉で相手に対して伝える事ができているでしょうか?

そんなことを思いながら、それと同時に自分はまだまだ至らないなと考えながら標語を掲載させていただきました。