法名(ほうみょう)て何?

この前、親戚の葬式に出た際に法名の授与を葬式前にお坊さんが行っていました。戒名は良く聞きますが、法名という名前を初めて聞き、そんな名前もあるんだと驚きました。法名について教えてください。(門徒Kさんからの質問)

ナヤムさん
ナヤムさん

確か、法名てお葬式の時にお坊さんが故人に授ける名前だったような気がするな~~。そうですよね、フミオ住職?

う~ん。確かに、葬式の際におかみそり(法名を授ける儀式)を行って法名を授ける事が多いけど、法名は通常は生前に習得するのが一般的なんだよ。

フミオ住職
フミオ住職
ナヤムさん
ナヤムさん

え・・そうなんですね。

そうだよね、ナムさん。ビックリだよね。それじゃ~今日は、法名の考え方や意味合いについて話そうか。

フミオ住職
フミオ住職

法名とは

法名は浄土真宗の仏弟子になる際にいただく名前です。

法名には、主に3つの意味があります。1つ目は、浄土真宗の仏弟子になる事の誓いの証、2つ目は、浄土真宗の教えに準じて生きる事を誓った証、3つ目は、死後お浄土(仏教における天国)に生まれ変わる事を望んでいる証です。

浄土真宗では、阿弥陀様が説かれる法(物事にこだわりや偏見を持たずに生きる事)に従い生きることを誓う上で仏弟子になります。仏弟子になったおりに、法名という仏弟子としての新たな名前を授けていただきます。

ナヤムさん
ナヤムさん

なるほど、法名というのは浄土真宗で仏弟子になる際に授かる新たな名前のことなんですね・・・。

そうだよ。そして、法名というのは仏弟子になる際にもらう名前だから生きている時にもらうのが一般的なんだよ。それじゃ~説明を続けるね・・。

フミオ住職
フミオ住職

仏弟子になるという事は、浄土真宗が掲げる「法」に従い生きる事を意味します。浄土真宗の法は、様々ありますが一番重要視している事は偏った考え方に縛られずに生きるという事です。浄土真宗を含む仏教の究極的目標は、「苦」からの脱却にあります。そして、浄土真宗ではこの「苦」が生じる大きな原因を「偏ったものの見方や考え方に縛られた」生き方にあると考えています。

そして、浄土真宗では偏ったものの見方や考え方をしない唯一の方法が阿弥陀様が説かれる法に従う事だと考えています。また、その法に従い生きることの実践方法として「南無阿弥陀仏」というお念仏を日々唱えることがある訳です。

ナヤムさん
ナヤムさん

なるほど・・・偏ったものの見方や考え方を予防するために「南無阿弥陀仏」というお念仏を唱えるのか・・・。意味が深かいな~。理解するには、修行が必要そうだな・・。

ナヤムさん、さすがだね。そう奥が深いんだよ。なんせ、仏教は2000年以上も歴史のある宗教だからね。

フミオ住職
フミオ住職

そして、浄土真宗では死後に自分がこの世を去りお浄土に生まれ変わるためには苦から脱却しなければなりません。苦から脱却するためには、法を実践し煩悩を克服する必要があります。法を実践し、お浄土に生まれ変わるためには仏弟子の証である法名が必須となります。

法名を習得することで、死後に我々が生まれ持って得た名前(俗名)を我々が生きている間に積み重ねた業とともに捨て、仏弟子としてお浄土に生まれ変わる権利を得る事ができるわけです。

このように法名とは、仏弟子の証であり、法名を習得することは、生きている間、そして死後に阿弥陀様のご加護を得る上で重要だと浄土真宗では考えています。

ナヤムさん(納得)
ナヤムさん(納得)

なるほど・・・そうなんですね。法名という言葉にこんなに深い意味があったとは驚きました、フミオ住職。

そうなんだよ、ナヤムさん。法名の法という漢字自体にも面白い意味合いが込められているから、機会があれば話をしよう。それじゃ~またね、ナヤムさん。

フミオ住職
フミオ住職
ナヤムさん(納得)
ナヤムさん(納得)

はい、フミオ住職ありがとうございました。

著者:釋 文雄(しゃく ぶんゆう)浄土真宗本願寺派 順教寺 住職

1948年に生まれ、1960年に得度を受け、1974年には寺院の住職の資格を得る。以後、本願寺派の布教使としての活動を開始。1977年に当寺院の第14代住職に就任し、現在に至る。浄土真宗本願寺派の僧侶として、50年以上の経験があり、布教使として各寺院や講演会での法座の登壇回数も延べ1,000回を超える。これまでの、浄土真宗僧侶としての経験を踏まえて仏教や浄土真宗の教えを伝えるために「教えて住職さん」のブログの情報発信を行う。