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若院のつぶやき

お寺掲示板⑨

桜梅桃李(おうばいとうり)という四字熟語があります。

この四字熟語には、「みんな違って、みんないい」という意味があります。

もう少しその意味を深堀すると、桜には桜の花の、梅には梅の花の、桃には桃の花の、李(すもも)には李の花の美しさがある。それぞれ違う花であるけれど、自らを他と比べて美しいと誇ることはない。そして、それぞれの花にはそれぞれの花にしかない美しさがある。というような意味があります。

「みんな違って、みんないい」、この自他尊重(じたそんちょう)の考えは過去から現在に至るまで当たり前のように存在します。

そして多様性を受け入れる事が叫ばれる現代において、多くの人が共感でき支持される考え方でもあります。

非常にシンプルで理解しやすい考え方ではありますが、同時に実践する事はなかなか難しい考え方でもあります。

なぜならば、我々人間は自分と他者を無意識・もしくは意識的に比較をし優劣をつけようとする傾向がある生物だからです。

人間は他人と比較してしまう生き物である。

レオン・フェスティンガー

アメリカの心理学者であり、「社会的比較理論」の提唱者、フェスティンガーは、人が他人と自分を比較してしまうのは、本能、あるいは無意識の反応であると言っています。

レオン・フェスティンガー博士について

人は、意識的に無意識的に普段の生活の中で自分と他者、他者同士を比較しています。その結果、他者を自分より上に見たり下に見たりして優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりすることがあります。

優越感や劣等感という感情だけで収まっていれば良いですが、時に上に見た人に対して過度にへつらったり、下に見た人に対して蔑む(さげすむ)行動をとったりすることがあります。

人はそれぞれ先天的・後天的に身に着けた特徴(個性)があります。その身に着けている特徴の優劣は、その人が所属している社会の評価基準に従い多くの場合決まります。

その評価基準を大幅に上回る特徴を備えている人は、多くの人から高く評価される傾向があります。

一方で、その評価基準を大幅に下回る特徴を備えている人は、多くの人から低く評価される傾向があります。

例えば、大学を出ている人は賢い、大学の中でも東大・京大・早稲田・慶応を出ている人は学歴が高く凄い人・偉い人。一方で、高卒や中卒の人は学歴が低く頭が悪く仕事もできない人などと評価することがあります。

それ以外にも、綺麗で可愛い人、かっこいい人は価値ある人、一方でブスや不細工は価値のない人と評価される事があります。

社会的評価基準を上回る特徴を数多く備えている人は、世間から高く評価される機会も多いので自分に自信が持て優越感を感じる事も多くなるかもしれません。

一方で社会的評価基準を下回る特徴を数多く備えている人は、世間から低く評価される機会も多いので自分に自信が持てず劣等感に苛まれることも多くなるかもしれません。

どちらも、同じ人間であり尊い存在であるにも関わらず、社会的評価基準により世間から評価され、自己評価も行い、その評価結果により幸不幸を感じているわけです。

社会的評価基準に囚われて他者を評価し、その評価結果に基づいて他者を下に見たり・上に見たりしたり、社会的評価基準に従い自己評価を行いその評価結果に幸不幸を感じている限り、自分の心が幸福感で常に満たされる状態にはなり得ません。

社会的評価基準に囚われて自分や他人を評価するよりも、他者と自分に優劣をつけるような評価をやめ、他者は敬い、自らも大切に扱う自他尊重を実践する方が心が安定する可能性は高まります。

ウェルビーイング(Well-being)という考え方が近年注目されています。ウェルビーイングとは、持続的な幸せの状態・幸福感に常に包まれている状態の事を指す言葉です。

この考え方は、ポジティブ心理学の大家であるマーティンセリングマン博士により見出された理論です。そして、この理論は今や世界中に広められ医療現場、精神医療や企業の人材育成など様々な分野で活用されています。

ポジティブ心理学やマーティンセリングマン博士について

ウェルビーイングになるためには、様々な実践項目がありますがその実践項目の1つに豊かな人間関係を構築する事の重要性が説かれています。

豊かな人間関係を構築するためには、自他尊重の行動が求められます。

自他尊重を実践するためには、①社会的評価基準で他者と自分を評価することを辞める。(自分と他者をありのままを認め受け入れる。)②自分を大切に扱い、自らの人格的・精神的成長に努める。③相手の事を思いやった言動をとる。(相手を傷つける言動をとらない。)この3つの行動が重要となると考えられています。

そして、この自他尊重の行動を実践するためには「みんな違って、みんないい」という桜梅桃李の考え方を持つことが前提となりきます。

我々は、一人ひとりまったく違う人間であります。それぞれが持つ特徴もおのずと違います。自分は自分、貴方は貴方であり、違ってあたりまえです。

その違いに優劣をつけ、どちらが優れ、どちらが劣っているかなど決める必要はありません。その違いは、当たり前で尊いわけです。

仏教には自利利他(じりりた)という僧侶が備えるべき考え方があります。この考え方には、「自ら仏道を修行して悟りを得るとともに、他人に仏法の利益を得させることも重要」という意味があります。

上記を要約し現代的な言葉に置き換えると、自利利他とは「他の人の幸福も自らの幸福であるという考え方」になります。

自他尊重というのはつまる所、自利利他の心で他者と接することでないかと思います。

自利利他の精神で他者と接すると、相手も自分を尊重する言動をとってくれる可能性は高まります。自分と相手が相互に尊重しあうことで、お互いの信頼関係は高まり豊な人間関係の構築にも繋がります。

ウェルビーイングに近づくわけです。

今回の法語は、自他尊重を実践する事が人が幸福に生きる手掛かりになるのではと思い考えさせていただきました。