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若院のつぶやき

次男の初産式

昨日、先月生まれた次男の初産式(しょさんしき)を行いました。初産式とは、新たな命の誕生を喜び、生まれた子供が初めて阿弥陀さまにご挨拶をさせていただく儀式です。そして初産式は、親にとっては新たに産まれた子に対して「仏の子」として大切に育てさせて頂きますと、阿弥陀さまに誓いを立てる場でもあります。つまり、初産式は親と新たに産まれた子供が親子で仏の道を歩むという誓いの場であるわけです。

この初産式を終えて、「親」とはいったい何なのかと改めて考えました。私は、長男が産まれて初めて親になって2年が経ち、次男が産まれて1ヶ月弱が過ぎ、今では2児の父親です。しかし、親になるということがまだしっくりときていない部分があります。ただし、2年間子供を育てて分かったことが2つあります。それは、「子育ては思い通りにいかないことを自覚すること」と「思い通りにいかないからこそ自分が変わる必要がある」ということです。

子供は、親の思い通りに便意を催したり、遊んだり、眠くなったり、ご飯を食べたりしてくれません。だから、子供に合わせる必要があります。子供が便意を催したらオムツを替え、子供が遊びたい時は一緒に遊びにいき、そして子供が寝れるように寝かしつける必要があります。このように子供の世話をすると必然的に自分のしたいことをしたい時にできなくなります。この自由にならないことは当初、私にとっては大きなストレスになっていました。時には、苛立ったこともあります。しかし、そんな時に模範を示してくれた人がいました。それは妻です。妻は深夜自分が眠いにも関わらず、子供がお腹をすかせて泣き始めても不愉快な顔を見せずに授乳して、寝かしつけていました。自分も見習わないといけないと考えました。そして、前述の2つの事に気づきました。

私が当初抱いていた思い通りにいかいことに対する苛立ちは、仏教の教えで言う「苦」そのものです。子育ての中には、苦が沢山あります。そして、その苦を乗り越えるために子供に合わせられる自分に成長する必要があります。そうしないと、私は親である限り「苦」に苛(さいな)まれてしまいます。苦に苛まれるのは嫌なので、自分は変わると決めています。親になるということ、そして子育ての中にも仏教の教えは役に立つのだなと感じる今日この頃です。